村田が正式に引退を表明しました。
五輪金メダリスト→プロでの世界王座奪取というデラホーヤやレナードが通った道と同様のエリート街道を走り抜けました。
但し、同じ道でもそれは似て非なるものでした。アメリカン・スターが通った道はより高みを目指すものになってたので高所に昇るほど、険しさを増していきました。一方の村田は若干の障害はあるものの、平坦で装備された道を進んでた印象です。
ま、今まではその平坦な道をすら通ることすら許されなかったわけですが・・・そういう意味でパイオニアとは言えるのかも。
トーナメントで対戦相手が選べず、いろんな策謀がプロ以上に魑魅魍魎とうごめいてるアマの世界で勝ち残り、しかもミドル級で世界大会銀、五輪金に輝いた村田のアマでのキャリアは非の打ちどころがありませんでした。
しかし、プロでは二度の世界王座獲得、最後のゴロフキン戦での感動などはあるものの、この階級における我が国の立ち位置を考えればこれが限界なのかとは思いました。
国内での立ち位置はデビュー時からトップだったのは間違い無いでしょう。現役のOPBF王者だった柴田への圧勝を見ればそれはわかる。
2戦目で湯場、3戦目で石田と予定通りに戦っても連破した可能性は高い。ただ、湯場は打たれ脆さもあるがその強打は驚異だったろうし、石田はペースメイクの巧さやカークランドをKOしたときの様な思い切りの良さもあって油断は出来ない。そのために敢えて危険を冒さないマッチメイク路線に変更したのは残念。
エンダム、ブラントと敗戦した後にダイレクト・リマッチが二度に渡って組まれたのは帝拳の政治力ゆえですが、そのチャンスを逃がさなかったのはさすがでした。
反面、本当に危険なミドル級の世界ランカーとは対戦を忌避してきた印象が強い。デビューして最初の王座に挑むまでの4年の間にデビッド・レミューやウィリー・モンローJRなど、せめてゴロフキンの王座に挑んだことのある選手と1戦交えてれば本当の意味での世界での立ち位置が明確になってきたのですが、それを明らかにする前にベルトを何とか獲らせて有耶無耶になってしまった。
そして引退の二文字を意識してきたときはゴロフキン戦だけが目標になってしまったので、コロナ禍があったにしろ2年以上に渡って防衛戦を行わずの王座保持、ましてやスーパー王者認定などが報じられるに至ってはゴロフキン戦が実現しても素直に喜べなくなりましたね。結果、その1戦の評価が良くてもそれ以外のキャリアは・・・というのが一ファンの評価です。
村田は帝拳や電通が敷いた道を懸命に進んできて、日本人ボクサーとしては想像出来ない高みに上り詰めたのは間違い無い。しかし、ミドル級という頂きで見ると険しくてももっと高い頂きを目指す道は創れなかったのかと今でも思う。
日本のミドル級の歴史は刻めたかも知れない。しかし、世界のミドル級では歴史に名を刻めたと言えようか。