ホルヘ・リナレスがザウル・アブドゥエラフに敗れた試合をWOWOWで観ました。リナレスが負けるのを観るのも珍しくなくなったと感じますが、7敗目なんですね。
かっては中南米のゴールデンボーイと称され、輝く才能と未来が保証されてたベネズエラの青年もいまやボクサーとしては最盛期を過ぎつつあり、円熟期へ向かわんとしています。自分達も年を取るわけだ(笑)。
さて、リナレスが日本でデビューしたのが2002年。
初王座は2004年1月に獲得したWBAのフェデラテン王座ですが、このときの体重がSバンタムだったのも時代を感じさせます。
そしてフェザーで活躍した2005~2007年が一番勢いを感じさせました。このときはパッキャオとの対戦まで出来るのではないかと夢想してたのを思い出します。
ラリオスとの決定戦を制してのWBC王座獲得。
確か、このときはラスベガス・デビュー戦が先立ち、単にアンダーでの出場予定だったんですよね。それが池の引退→王座返上に伴う決定戦の出場に運の強さも感じさせました。
メキシコでガマリエル・ディアスをKOしてのV1戦。そして転級。
Sフェザーも決定戦、しかも相手はワイルベ・ガルシアということでマッチメイク的には疑問でしたが、きたるビッグマッチへの足掛かり程度にしか思えなかったので、自分は気にしませんでした。
しかし、V2戦でのサルガド戦が運命の分かれ道になろうとは・・・
衝撃のKO王座陥落!
このときはもう一つの選択肢もあったと思います。
それはライト級へ上げるのを待って、サルガドに勝った内山への挑戦。
内山vsリナレスが実現してれば凄く興味深かったですが、同門の粟生が控えてましたし、三浦も移籍してきたしで国内のSフェザーではやはりチャンスが無かったのかも・・・ま、歴史のIFですね。
ライト級転級後はより体格やパワーの差が顕著に表れたと思います。
サルガド戦で露呈した打たれ脆さも露わになってきたことでそれを補うためのスピードとコンビネーション特化に拍車がかかってきた気がしました。
確かに鮮やかなコンビネーションは目を見張るし、ロマチェンコやキャンベルからダウンを奪ったシーンは見事としか言いようが無い・・・が、それでもカウント・アウト出来なかったのがライト級での限界を感じさせる。つまり世界でのトップ・オブ・トップには届かなかったという現実だ。
そしてヘイニーにはスピードでも競り負けていた。
かってパッキャオとも戦える立場になるのではないかと思われてたゴールデンボーイも既に36歳。まだ老け込む年齢ではないが、54戦のキャリアで蓄積されたダメージを抜くことも必要な様に思う。
ここからキャリアのセカンド・ウィンドを呼び込んで、もう一花咲かすのか、それとも徐々に斜陽していくのか。
どんな結果になっても日本人よりも日本人らしいベネズエラの偉大な選手の結末を最後まで見届けていこうとは思う。