平成という時代を振り返るときに激闘・逆転というワードでまず出てくるのは高橋ナオトでしょうが、個人的に忘れられない選手が神藤太志です。ある意味、ナオト以上に太く、短いボクサー人生を送りましたが、短かった分、その濃さは相当のものでした。
90年代の国内フライ級はまさに豊穣の時でした。
世界王者にユーリ・アルバチャコフ、そして日本王座を巡る戦いではピューマ渡久地の失踪がより混沌を招きます。
松岡洋介、岡田明弘、天翔康晶、小林宏、そして神藤。
神藤の試合は打ち合い上等の激闘が多かった。
しかし、打ち合いの最中に見せる柔軟なボディワーク、シャープなコンビネーションは激闘型以外の可能性も十分に感じさせるものだった。その様な可能性を感じさせながらも敢えてか、必然か、刹那的な打ち合いに身を任せるから神藤の試合は今も心に残る。
結果的に岡田に敗れたけど、この試合と神藤vs天翔の2戦が国内フライ級における自分のベストバウトだ。
一歩間違えれば後の人生に影響を与えかねない、ダメージを負わせてしまうボクシング競技においては無闇に激闘・打ち合いを推奨すべきではないかも知れないし、その様な試合を喜んで観ている自分に後ろめたさを感じることもある。
しかし、たった一試合で全てが変わってしまう、終わってしまうかもしれないからこそ、ボクサーは観客はその瞬間に気持ちを込める。
そして、その様な試合が後年まで語り継がれる。
ボクシングはスポーツであり、ポイント・ゲームであり、またファイトである。どんなにルールが厳格になり、時代が変わっても人間が殴り合うという原点は変わらない。そして我々観客はそれゆえに尊敬とある種の後ろめたさを感じつつもこの競技に惹かれていく。
神藤太志の試合を観返す都度にそう思う。
おまけ