修斗がシューティングと呼ばれていた総合格闘技黎明期に元プロ・ボクサーとしての肩書きで活躍してたシューターがいました。
※大原友則(常滑):http://boxrec.com/boxer/183682
戦積は20戦10勝(6KO)10敗。最高位は日本ウエルター級8位、同Sウエルター級6位が最高位です。89年にデビュー戦を4回判定勝ちした後、新興格闘技だったシューティング(修斗)へ身を投じます。
89年の第一回アマ修斗の全日本選手権中量級優勝して90年1月にプロ・デビュー。
山田学に3戦目で敗れるも、91年に修斗のウエルター級王座獲得。1度防衛して王座返上してます。後にこの王座は中井祐樹や宇野薫、五味隆典、川尻達也が腰に巻く由緒あるタイトルになります。外国人ではビトー・シャオリン・ヒベイロやヨアキム・ハンセンが王者だった頃もありますね。
私はボクサーとしての大原を会場で観たことが無いですが、修斗の王座の初防衛戦を生観戦してます。長いリーチから打ちおろす様な右ストレートが印象的で田中智宏にKO勝ちしました。
修斗では92年11月まで現役を続け、一度ボクシングに復帰。引退後は古巣の常滑ジムでトレーナーをしていたという記事を当時の専門誌で読んだ記憶があります。
しかし、2000年に修斗で再起。2001年までコンスタントに試合をしたものの、復帰後4連敗。最後はさらに4年のブランクの後、2005年4月のDEEPで木村直生に1RにTKO負けした試合をした後に身を引いてます。ボクシングとMMA(修斗)で1度は引退したものの、それぞれで復帰したという稀有なキャリアを歩んできた選手です。
ちなみに総合格闘技でのレコード:http://www.boutreview.com/fightsspiral/ohara_tomonori.html
その後、かっての師匠である佐山氏が発足した制圏道に所属していたこともあったみたいですが、今は一般法人日本格闘技協会の理事長(http://kakutouka.net/)をしているみたいです。タイトルとは残念ながら縁が無かったですが、何かと個人的には印象的な選手でした。
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歴史探索~大原友則という生き方
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