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Channel: リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論
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再見、鬼塚勝也vsタノムサク・シスホベー第一戦

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たった一戦のイメージのために後年、その実績や功績が正当に評価されてない王者がいます。
80年代における渡嘉敷勝男であり、90年代における鬼塚勝也がそれに当てはまります。(ある意味、疑惑のゴングにおけるストロー級王者時代の井岡弘樹も当てはまるかも)
渡嘉敷はマデラ、井岡はナパという徹底して噛み合わせが悪い王者との連戦を強いられて、かなりのイメージ・ダウンに繋がりましたが、鬼塚においては決定戦におけるタノムサクとV3戦の林在新がそれに該当します。林戦はまた改めて検証してみたいと思ってますので、まず、その後のネガティブなイメージを植え付けたタノムサクとの1戦目を振り返ってみたいと思います。
時は1992年4月10日、所は改装後2年足らずの千駄ヶ谷・東京体育館。この試合は会場へは行けなかったのですがテレビ中継をリアル・タイムで観ています。当時は私も鬼塚の勝ちという判定結果に納得いかないものを感じましたが、後日ビデオで自分なりに検証してラウンド毎のマスト採点なら鬼塚の勝ちもありうる・・・と改めて印象と採点について考えさせてくれた1戦でした。エキサイトマッチでのジョーさんの解説の受け売りですけれども(笑)。

テレビ解説は白井・具志堅の両氏。当時は世界戦は90分~120分枠を取って試合前の両選手紹介から公開スパー、調印式の模様まで30分程かけて入場・国家吹奏のセレモニーまでビッチリ見せてくれましたね。荘厳な雰囲気に隔世の感があります。
キー・トゥ・ウィンでは両解説者は鬼塚の勝因は右ストレートと後半勝負、タノムサクはカウンターとアウト・ボクシングと指摘。その間に場内には歴代世界王者が紹介されています。このセレモニーもいつの間にか形骸化してしまいました。尚、画面の音声から確認するところ輪島、ガッツ、花形、渡嘉敷、渡辺二郎、大橋、レパード、畑中等々。そしてロベルト・デュランのコールが!この9日後に同じこの場所でプロレスのリングでEXマッチを行う予定だったのですが来場していたとは。

さて、試合の方ですが、タノムサクが序盤から左を突いてパワー・パンチを打っていくのに対して、鬼塚は後退しながらもショートの左フック、右アッパーを好打します。1,2Rは結構、判断が難しいラウンドですがマストなら微差で鬼塚かなあ。2Rは私は鬼塚ですが、解説の2氏は二人ともタノムサクのラウンドにしています。(1Rは10-10と言ってました。)
3Rに鬼塚が鼻血を流し、5Rには右目上から出血して劣勢を印象付けます。事実、3~5Rはいずれもタノムサクのラウンドか。1,2Rを鬼塚に付けて私は48-47で1差タノムサクですが、1Rを10-10、2Rをタノムサクにつけると50-46で4差まで差が開きます。

鬼塚の反撃は6Rから。とにかく手数が多く、インサイドからの攻撃を緩めない。右ストレート、左フックにタノムサクが後手に回る場面も。7、8Rは互いに中休みの状態で足使って距離を取りあう展開。ただ、タノムサクの右ボディなどが有効と見られるかも知れない。8Rまでは私的採点は76-76、前半50-46と付けた場合は78-75で3差タノムサク

9R~11Rはタノムサクのスタミナ切れもあり、鬼塚が攻勢を取ります。特に11Rはタノムサクが反撃しかかったのですが、手数と気力で押し切った印象。結構、被弾もあり、自分のペースで試合が運べないことも多々ある試合に関わらず、鬼塚の身体と心のスタミナは驚異的です。
ここまで私的採点が106-103で3差鬼塚。また、もう一方の採点では105-105とポイントは互角。解説の白井氏は点差を言わず、取りあえず最後は取らないと!と鬼塚劣勢を暗に匂わせます。具志堅氏は1差でタノムサクと語っており、放送席はポイント不利の雰囲気が出ており、今のエコ贔屓実況とはまったく違うのが皮肉です(笑)。

最終12Rはさすがに鬼塚にも打ち疲れが見え、タノムサクがカウンターを当ててペースを握ります。このラウンドは10-9でタノムサク。公式は115-114、115-113、116-114と1,2,2差で3者とも鬼塚を支持。
私的採点は115-113で2差、鬼塚ですが、もう一方の採点に合わせると115-114で1差、タノムサクになります。

ボクシングは各ラウンド毎に独立したものとして採点してその合計を競うものであり、全ラウンドを通じての印象や合計ダメージで優劣を付けるものではないということを改めて考えさせてくれたサンプルとなった試合でした。そして、改めて現在の視点で見直してみると、疑惑の判定と言う程ではないかなという印象です。(微差~小差ではあるものの)
改めて、鬼塚のポテンシャルと意識の高さを認識させられました。尚、タノムサクは94年11月にジョー小泉氏が主宰したワールド・チャレンジャー・スカウトでグレート金山とメインで対戦させるというプランもあったのですが、条件面が折り合わず実現に至りませんでした。このカードが実現してたら、またいろんな歴史が変わっていたかも知れませんね。

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