山中がモレノを返り討ちにした衝撃から今だ冷めやらないなか、戦前の山中敗北を予想してた一部のアレな人達の断末魔があちこちで聞こえてきます。勿論、予想という範疇で楽しんで、「あ~、モレノやられちまったよ。」と敗因を分析したりする分にはまぁ、普通のボクシング・ファンの好みの違いだし、結果を結果として受け取ったうえであれこれ言うことはファンの権利です。
しかし、前戦で距離を取ってのアウト・ボクシングでギリギリの接戦の末に敗れたモレノがスタイル・チェンジをして挑み、結果敗れたからといって勝者を堕としめるのはどうなのか。
ああしてれば、こうしてれば・・・という悔恨はファンである以上、当然あるわけだし、勝負にタラレバがなくてもファンの雑談の中でそれは許される。
しかし、前回が地元判定でそれでは勝てないからファイター化した結果、敗れたとか、パナマや中立地でやってれば結果は逆だったとか、あげく山中はモレノに懺悔しなければならないとか、いくら見方は自由とはいえ太陽が西から昇ると言い張る様な文脈はどうなのか。
山中は2戦ともホームとはいえ、2度に渡ってモレノを破った。しかも2戦目は完勝。
1戦目は接戦でどちらの勝ちと見てもおかしくない試合であり、だからこそ議論沸騰だったのだろう。判定について考えさせてくれる試合としてはいいサンプルになりうる。各ラウンド毎に検証すると見る角度によって色合いが異なってくるという点では名勝負というよりも、ボクシング観が問われる試合とも言えるかも知れない。(どこかの一家の試合ではどこから見ても負けてる試合を勝ちにしてもらったケースも多々あったが。)
そして、そういう戦い方ではジャッジに明確に勝利をアピール出来ないと考えたのはモレノである。だからこそ、2戦目でああいうアグレッシブな戦い方をしたのだが、1Rにダウンを奪われるまではペースを握りかけていたこともあり、無理したわけでなく、自分の引き出しを一つ開けただけだろう。まさにあれもこれもモレノということだ。
そして、それを打ち砕いたからこそ山中の勝利には価値がある。敗者のエクスキューズはどんな試合にも存在するが、言い訳は見苦しい。それを一番わかっていたのは本人だからこそ、完敗ともいえるコメントを残したのだろう。
敢えて言えばモレノが2戦ともアウェイでの戦いを了承して来日したことだが、それはバックについてるプロモーターの力関係や自身の人気で母国や中立地で興行が組めるのかとか、いろんな要因が左右する。しかし、その手の陣取り合戦はどちらかの有利不利が出てくるのは当たり前なのでベルトに挑む以上は歩み寄りせねばならないかも知れない。それかファイトマネーを過剰に積むしかないだろう。かって、エステバン・デ・ヘススがガッツ石松をプエルトリコに呼んだときの様に。
いろんな見方があって当たり前だが、あくまでも現実あってのもの。脳内世界を現実より優先させてしまう見方はときに万人の失笑を買うこともあるということを理解せねばなるまい。